2月24日の国旗掲揚と沖縄の県民投票

 今月の初め、幼稚園に県からのメールが届いた。1月25日の閣議決定を受けて、2月24日の「天皇陛下御在位30年記念式典」の当日、学校や幼稚園でも国旗を掲揚してほしい、という内容だ。
ぼく自身は、こういう通知を受けたのは初めての経験で、けっこうな衝撃を受けた。

 通知は、内閣官房長官から文部科学大臣へ、文部科学事務次官から都道府県の教育委員会教育長、知事、市長、国公私立大学長、公立学校共済組合理事長などを含む16もの「長」に宛てて伝達されている。それが、県の管轄下にある私立幼稚園にも「下りて」きたということだ。

 ぼくはテレビやネットで目にする官房長官の記者会見の様子を思い浮かべ、またこの記念祝典で祝われる側の天皇のことを思った。こういう動きは、天皇ご自身にとって、もしかすると辛いことなのではないだろうか。かつて、2004年10月の園遊会で、将棋の米長氏が「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と話しかけたとき、天皇が「やはり、強制になるということではないことが望ましい」と答えられたことを思い出す(朝日新聞の記事より)。

「うちの幼稚園だけ国旗を揚げないと、またあの幼稚園は…と言われるんじゃないですか」という職員の言葉に、ぼくは「まずは世間でどんな反応なのか見てみますね」と言ってパソコンを開いた。驚いたことに、ネットで検索しても、ほとんど議論は見当たらなかった。唯一ヒットしたのが、天木直人氏のブログで、それを読んで、ぼくはこの記念式典が沖縄の辺野古基地建設をめぐる県民投票の実施日と重なっていることに気づかされた。

 きっと、こんどの日曜日には、日本中の幼稚園や学校で国旗がはためくのだろう。もしそれが沖縄の未来にとって非常に重要な意味をもつ県民投票を背後に押しやるような結果になれば、一番悲しむのは天皇ご自身だろう。なんといっても、今上天皇は皇太子の時代から沖縄に深い思いを寄せてこられたことが知られているからだ。
たとえば、昨年12月、85歳の誕生日に向けて行われた記者会見でも、翌年の退位を踏まえた形で、天皇は沖縄についての思いをこのように語っている。
「沖縄は、先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました。皇太子時代を含め、私は皇后と共に11回訪問を重ね、その歴史や文化を理解するよう努めてきました。
沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません。」(buzzfeedの記事より)

うちの幼稚園だけが国旗を掲げず、それで余計な陰口をたたかれるのも避けたいが、上からの「協力要請」に従って沖縄の県民投票のことを忘れているかのように思われるのも嫌だ、と思った。国旗と一緒に沖縄の県旗を飾るとか、沖縄の県章をあしらったトレーナーを着てみようかとかいろいろ考えたが、いまひとつ自分で自分を納得させることができなかった。
せめて、自分のブログには、自分の幼稚園が2月24日に国旗を掲揚するに当たって、どういうことを考えたのかだけは記しておきたいと思った。

そんな中で、24日の記念式典で、沖縄出身の歌手、三浦大知氏が天皇・皇后の作詞作曲による「歌声の響」を歌うことに意識が向かった。実は、初めは三浦大知氏が歌を披露すると聞いても、あまり関心を持てなかった。でも、よく考えれば、この歌は、天皇が皇太子時代に沖縄の言葉で詠んだ「琉歌」である。1975年、初めて沖縄を訪問し、ひめゆりの塔での献花の際に火炎瓶を投げつけられた翌日、ハンセン病療養所の人々が歌ってくれた「だんじゅかりゆし」という歌に耳を傾け、東京に戻ってからその思い出を琉歌に読んだものだという。
この関連に気がついて、ネットで検索してみると、すでにリテラというニュースサイトでは、1月20日付で「天皇在位式典で三浦大知が歌う「歌声の響」は明らかに天皇、皇后の沖縄へのメッセージだ! 天皇が作詞に込めた意味」という記事を発表している。

三浦大知氏の起用や歌の選定に、どこまで天皇や皇后ご自身の思いが働いているのか、官邸の思惑はどうなのか、実際のところはわからない。解釈は、すべての人に開かれている。
ただ、ぼくは、このように考えることにした。三浦大知氏は沖縄の人だし、彼が歌う歌には天皇と皇后の思いが込められている。だとすれば、そこに人々がさらに自分たちの思いを乗せることはできるはずだ。ぼくたちが、閣議決定という形で、半ば強制的に、あるいは暗黙のプレッシャーを受けて国旗を掲げるとき、そうしながらも、そこで在位30年を祝われている天皇や皇后とともに、沖縄の人々に思いを寄せることができる。県民投票という、県民のアイデンティティーが問われるその日に、心からの応援の気持ちをこの旗に込めることができるだろう。それがきっと、天皇と皇后のご意志なのだろうと。

ぼくは園長として、こういった問題にほとんど関心のない職員の感情を逆なでしたり、地元で波風を立てることはしなかった。それが勇気がないことなのか、なんらかの知恵なのか、実はぼくにも確信がない。オンラインで注文した国旗が届き、思いのほか大きかったとき、あーあと思い、ちょっと後悔した。でも、ぼくには天皇の在位30年を心から祝福したい気持ちもある。それが政府によって決められ、国旗掲揚が求められたことで、一斉の指示や半強制に対する対抗感と嫌悪感が募ったということだ。
それに対して、ただ嫌々ながら、言われたから仕方なく国旗掲揚するのではなく、そこに自分なりの意味を見て、自分で込めたその意味を内面においても大切にしようと思った。

まったくもってカッコよくはないけれど、幼児教育の端っこに関わる人間として、こういう考え方に沿って国旗掲揚するのであれば、なんとか子どもたちに対して後ろめたさを感じなくて済むのではないかと思った。そして、何より本当に「象徴天皇」なんていう大変な職業(Beruf)を運命的に押しつけられてしまった天皇その人に対して、日本が誇りに思えるような「国民統合の象徴」として生きてくださったことに対して、嘘ではなく、単なる形式でもなく、本当の感謝を捧げることができると思ったのである。
そのことを、ここに記しておきたい。