最近、何人かの人と「なぜ選挙に行くのか?」という話をした。以来、ずっと考えているのだが、前回りんごろうそくについて考えたことが、選挙にも当てはまるような気がする。
自分が一票を投じたところで、結局何も変わらない、と言われる。
実際、選挙結果にはいつも打ちのめされる。
そのたびに、自分の一票にどんな価値があるのかと思う。
ぼくは打ちのめされるが、しらけた気持ち、冷めた気持ちになる人もいるだろう。
結局、権力を手にした人々は、名もなき人々の声を無視し続ける。
彼らにとって、一人ひとりの人間が悩み、考え、生きることは、取るに足りないことなのだ。
だから、自分ひとりが頑張って声を上げたところで、世界は変わらないと思う人もあるだろう。
でも、アドベントカレンダーの一つひとつの窓のように、
あるいはりんごろうそく祭りで、子どもたちが一つひとつおいていく小さな灯のように、
一人ひとりが生きているから、人類は進化していく。
昔の奴隷制は撤廃され、人種差別は少なくとも公には否定される。
女性に選挙権が認められなかった一昔前とは違い、いまは当然のように女性も選挙に行くことができる。
それは一人ひとりが生きたことが、人類の歩みにつながったということだ。その歩みの上に、ぼくたちはいる。
ぼくには、日本国憲法第12条
「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」
という言葉が、厳かな重みをもって響く。
ここでいう国民とは、大人たちのことだ。
子どもたちは思いっきり自由に生きるのが仕事だ。
大人たちは、自分たちが自由に生きられるための基盤をつくり、それを「不断の努力」で守らなければならない。
そのためのもっとも有効な手段が、選挙なのだと思う。
たとえ自分が選んだ人が当選しなかったとしても、投票率が上がるだけで、政治家たちは緊張する。
反対に、選挙に行く人が少なくなれば、彼らは安心して、ますます勝手なことをするだろう。
今のぼくには、アドベントカレンダーの窓が、一人ひとりの人生であり、選挙における一票のように感じられる。
一票の中に、それを投じた人の人生を感じられるようになれば、
政治は大きく変わるだろうに、と思う。
でも、それにはぼくたちが投票し続けることが大事なのだ。
それが、「なぜ選挙に行くのか」というぼくなりの答えである。
One Response
けんしん
日本の社会環境の中に政治を考える世界が皆無なのです。家庭の中に政治や社会について語れる場を親が持たないし親が考えていない。子供のすごす学校にも先生の教える事の中に現在の政治や社会について個人的な意見を言うことを抑えられている、もしもそのような発言の中に現政権の批判などがあれば閑職になるでしょう。テレビや雑誌の中に現政権への批判があればそのメディアは抹殺されるでしょう。この歪んだ日本のあり方を直視し批判できる人は数少ないのです。選挙は我々国民が真っ当に政治改革をなせる場なのですが、その事を意識する方は本当に皆無なのです。危険な社会がまもなく来そうな気がしてとても不安です。