自民党の萩生田幹事長代行が「赤ちゃんはママがいいに決まっている」と発言したとして、批判を浴びている。https://www.asahi.com/articles/ASL5W4F1ZL5WTNAB00D.html
でも、ぼくはこの萩生田氏の発言には、何か「罠」のようなものを感じるのだ。
もちろん、彼の発言に対しては、批判すべきだし、怒るべきだと思う。けれど、それとは別に何か隠された意図があるのではないか、と勘ぐってしまう。
彼の発言は、たとえばその前の加藤寛治衆院議員の「新郎新婦には3人以上産んでほしい」という発言のような、思わず本音が出たのとは別種のものだ。
むしろ、子育てや保育に関わる人々を分断する目的で、かなり意図的になされたのではないかと思う。以下、萩生田氏の発言の主なポイントを抜き出して考えてみたい。
- 生後3~4ヶ月の赤ちゃんを「赤の他人」に預けられることが本当の幸せとは限らない。
- 仕事を一年休んでもおかしな待遇を受けずに職場復帰できる環境を整えるべきだ。
- 子育てという大変な仕事を「仕事をしていない」というカテゴリーに入れるべきではない。
- 0ー3歳の子どもは、パパとママのどちらかといえば、ママのほうが好きなのではないか。
- 子育ては、母親に負担がいくことを前提とした社会制度で底上げすべきだ。
- 「男女平等参画社会」「男も育児」という言葉だけでは、子どもにとって迷惑かもしれない。
- 子どもが母親と一緒にいられる環境が必要なのではないか。
萩生田氏の発言には、ぼくも賛成できる内容が含まれていた。ぼくも、子育てはそれ自体が「仕事」であり、その仕事量においても責任の大きさにおいても他の「社会的」な仕事と変わるところはない、と思う。一年以上の育休をとってもスムーズに職場復帰できるためには、確かに社会の側の理解が必要だ、とも思う。さらに言えば、赤ちゃんと母親の特別な結びつきだって、否定すべきではないと思う。たとえば、生まれたばかりの赤ちゃんを母親の胸にのせるいわゆるカンガルーケアが普及してきているのも、この母と子のつながりが重要だからではないか。
その一方で、萩生田氏は「世の中の人みんなが期待している『子育て』という仕事をしているお母さんたちを、もう少しいたわってあげる制度が必要」とか、「0~3歳の赤ちゃんに、パパとママどっちが好きかと聞けば、…どう考えたってママがいいに決まっている」とか、「お母さんたちに負担がいくことを前提とした社会制度で底上げ」しなければならない、という言い方をする。つまり、子育てが母親の仕事であることを認めるなら、子育て支援の社会制度をつくってあげようと言っているようなもので、踏み絵を踏ませようとしているような印象を受ける。そこに人々の反感や批判が集中したのではないかと思う。
しかし、ぼくが一番問題に思うのは、萩生田氏が「男女共同参画社会」と「男も育児」という言葉を並べていることである。そこに彼の意図を感じる。まるで、男女共同参画社会では一律に女性は社会で働き、男も育児を担わされるというイメージを植え付けようとしているかのようだ。
彼の発言の目的は、実は「男女共同参画社会」を攻撃することだったのではないか。そのために一番有効なのは、この社会に共同参画する人々の価値観を単純化し、対立と分裂を誘うことだ。
以前、ツイッターで、いわゆる専業主婦で子育てしている人に、働きながら子育てをしている人がエールを送っているのを見かけて、こちらも勇気づけられる気持ちになった。生き方や価値観は多様であっていいと思う。子育てをするために仕事を辞める人がいてもいいし、仕事をするために保育園を利用する人がいてもいい。仕事をする理由も、自分のやりたいことだからでも、生活のために必要だからでも構わない。それは一人ひとりの生き方の問題であって、政治や行政がそこに口を挟むべきではないと思うのだ。
萩生田氏の発言が危険なのは、男女共同参画社会が「男も育児」という価値観に直結するかのように印象づけている点だ。しかし、男女共同参画社会とは、男女共に生き方や価値観の多様性を認める社会ではないのか。彼は、そのような多様性を阻むために、わざとこのような発言をして、社会に共同参画しようとしている男女の中に分裂を招こうとしたのではないか…
今、萩生田氏の発言に向けられている批判はどれももっともだけれど、それによって子育てや保育に関わる人々が感情的に分断されないように気をつけなければならないと思う。
自民党が、あるいは旧態依然とした価値観を保持しようとする人々が恐れているのは、多様な価値観を持つ人々の相互のつながりである。だから、今、彼らの動きに対置させるべきは、別の(たとえば男の育児のような)価値観ではなく、「選択の自由」なのだと思う。そして、お互いの異なる状況と異なる生き方に想像力を働かせ、理解し合うことだ。
萩生田氏の意図は、子育ては母親の仕事だと主張する背後で、実は多様な価値観と選択の自由を備えた「寛容な男女共同参画社会」の到来を阻むことにあるように思えてならない。男女平等で、違いを認め合える社会の到来に向けてこそ、力を合わせていきたいと思う。
One Response
けんしん
私達夫婦の子育ては、共に分かちあって子育てをするでした。まず夫婦が共に同じ仕事をすること、夫婦の基本はいつも同じ時を共にすごし、意見を出し合い助けあい、お互いを深く知り合う。
子どもたちはその中で育ちます
私たちの子供たちは保育園で育ちました。4人の子達お友達を作り、助け合う生活を学び大きくなりました。
可能な限り、夫婦は同じ時を過ごす時間を出来るだけ長く創造しなければいけません。子育ては、その中で自ずと素敵に創造されます。