今日は、マルコ・カンパニーが扱っているアドベントカレンダーについて書いてみたい。
このカレンダーは、「アドベントガーデン」をモチーフにしている。
アドベントガーデンは、ぼくが園長を務める幼稚園では「りんごろうそく」と呼んでいて、毎年、クリスマスの時期に行われるお祭りのことだ。アドベントは「到来」という意味で、キリストの到来を待ち受ける期間のこと。「待降節」ともいう。
幼稚園では、ホールに目張りをして真っ暗な空間をつくり、床にモミの枝で渦巻きのような螺旋状の道を敷き、真ん中に大きなろうそくをおく。ろうそくの灯りだけの薄暗い空間で、子どもたちは一人ひとり自分の「りんごろうそく」を持って、渦巻きの真ん中の大きなろうそくまで行き、その火で自分のろうそくに火を灯し、モミの中にそのりんごろうそくを置いて戻る。
子どもたちが一人ひとり静かに歩いて、注意深くろうそくに火をつけ、その火を消さないように慎重に歩く姿は、どこかその子のこれからの人生を感じさせる。
人間はどこか人生の嵐の中を、自分の中の小さな火を吹き消されないように身をかがめながら歩いているようだ。その小さな火は、一人ひとりの自我であり個性なのだ。小さな火は、天国の大きな火に由来する。
すべての子どもたちが自分のりんごろうそくをおいて席に戻ると、真ん中の大きなろうそくから螺旋の光の道が浮かび上がる。
りんごろうそく/アドベントガーデンというお祭りのメッセージは、最後に浮かび上がる、この光の道にあるのではないか。人間は人生を歩む中で、精一杯考えて、自分なりの選択を重ねていく。そうやって一人ひとりが自分だけの人生を生き、その果実を地上に残して去っていく。でも、実はそうやって人類そのものが歩んできたのだ。人類の歩みは、個々のかけがえのない人生から成り立っている。もし、それを天国から見ることができれば、この地球には、人々がつくってきた光の道が見えているのではないだろうか…
ぼくは、保育や子育ての中でクリスマスが持つ意味は、キリスト教という特定の宗教よりも、真冬の寒さと暗がりのなかで、一人ひとりの内なる光と温もりを感じることにあると思う。
そう考えたとき、19世紀になって始まったというアドベントカレンダーにも別の意味が見えてきた。アドベントカレンダーには24の窓か扉がついていて、子どもたちが毎日その一つを開けると、そこには可愛い小さな絵が描かれている。そうやって、クリスマスへの期待感を高め、心の準備をするという趣旨である。
でも、アドベントガーデンと考え合わせると、実はこの1つひとつの窓や扉の向こうには、ひとつの人生の果実が描かれているのではないか、と思えてくる。クリスマスの日が待ち遠しいと思っていたけれど、実は、そこに向かうまでの一日一日もかけがえがなく、一回限りのものだ。今日出会うその人の人生も、自分と同じように一回限りの、大切なものだ。
そして、少し離れて眺めると、カレンダーの全体の模様が見える。一つひとつの人生の果実のかけがえのなさが、全体の絵を成立させる。それがアドベントカレンダーを最初に考案した人の思いだったのではないだろうか。
そんな考えを裏づけるように、まさにアドベントガーデンをモチーフにしたアドベントカレンダーを見つけたので、マルコ・カンパニーのオンラインショップで扱う最初の製品にした次第である(関心をもっていただける方はこちらから)。